価値はつくれる

最近、価値についてよく考える。
うまく言語化できる気がしないけど、頭の中を整理するために書いてみる。

価値というのは多くの人が認めているから成り立っている。
お金、株式、モノ、本来ならただの紙切れに過ぎないし、株にいたっては実態すらないもの。
でもそこに価値が生まれているのは、みんなでそういうものだと認識していて理解しているから。
そしてほとんどの価値が価格によって数字で表される。
ブランド品や限定物などに見られるように、希少性というものがさらに価値を高める。
例えば旬のもので言うなら、国産の鰻の値段が高いのは数が少ないから。
中国の鰻より値段が2倍だったとして、美味しさも同じように2倍になっているとは限らない。
そもそも鰻を食べない人にとって鰻の価値はゼロに等しい。
高いから美味しいものだと思っているというか、そう思いたいという気持ちにさせるのが人間の心理だ。
せっかく行列に並んだのだから、満足したいという作用がはたらくのも同じようなこと。
要するに何かの価値は誰かに思い込まされてると言えなくもない。
そして確かにある程度、人間が操作できるものだとぼくは思っている。

経済の発展は当然人間が成し遂げてきたもの。
こんな未来がいいと誰かが描き、それに賛同した人が世代を超えて作り上げていく。
よく物語で描かれるような未来都市は、どれも”つるん”とした丸みを帯びたデザインになっている。
誰かが空想で表現したものを、あたかも未来都市はこうだと思い込んだ人たちが無意識的にそこに寄せて形にしているだけのこと。
今、仮想空間やNFTに市場が生まれている現象は、ブロックチェーン技術がなせるものでもあるけれど、みんながそれをいいと思えばそれが価値になることを示している。
つまり、たとえ一人でもこんな世界がいいというビジョンがあって、それに賛同する人をたくさん集めることができるなら新しい価値はつくれると思う。
歴史を俯瞰して見ても、世代をこえてバトンをつないで新しい価値は生まれている。
自分にとって大事な価値って何だろう。
少なくともエルメスのバッグや鰻にはあまり価値を感じない。

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