早さのアイロニカル

早さって絶対的な正解ではないと思うのです。
技術の進化で通信も移動も買い物も、いろんなことが早くなりました。
時短、生産性、効率化、たしかにとっても便利です。
現代人ならほとんどの人が高度な文明化を享受しています。
それなのに日々忙しくなっているのはなぜでしょう。
ドラマや映画を倍速で観る人もいれば、それらをながら観で他の用事をする人もいれば、長尺の動画を観れなくなったという人もいるらしいです。
その気持ちはわからなくもない。
早い便利さに慣れてしまって人間の集中は持続力がなくなってきてるのかもしれない。
人類が早さに向かう行動心理として、コストが安くなっていることも避けられないでしょう。
インターネットのおかげで限界費用は限りなくゼロに近づいていってます。
検索もSNSも無料じゃなかったらこんなにも普及していないはず。
早さと安さがセットになっているのはやっぱり最強です。
おそらく誰にも抗えないうねりのようなものだと認識しています。

それなのに便利になったにも関わらず、余計に忙しくなっているというのは不思議な現象です。
早くなった分やることも増えているのはなんとも皮肉なことです。
興味をそそるコンテンツが次から次へと湧いてきます。
だから要約や倍速で概要だけを消費して満足した気分になっている。
そのうち音楽も倍速で聴くようになるかもしれません。
ただでさえ一曲の時間が短くなっているというのに。
この流れは、いい例えではないかもしれませんが、エベレストの頂上にヘリコプターで行って登頂したと言っているようなものです。

万物の真理として、何事もトレードオフな側面があるとするならば、早くなったことで失われている何かがきっとあると思います。
そこに流れる時間の中にしかない大切な何かが。

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