みんなやさしい

例えば同じ日本で地震や水害などの自然災害で大変な目にあっている人々の映像を見た時に、自分は何事もなく悠長に過ごしていたらなんとなく居心地の悪さを感じてしまいます。
程度にもよりますが多くの人が同じ気持ちになるのではないでしょうか。
世界中で起こっている大きな事件や戦争に対しても少なからず思ったりします。
その渦中では自粛モードになりますが、不思議と時間が経てばもとの生活に戻っていきます。
良くも悪くも忘れてしまうのは次に進むためにも大事なことです。
その時に一瞬でも感じたうしろめたさの中には、人間の誰しもに宿っている”やさしさのようなもの”が正体を隠したまま眠っている気がします。

市場経済が発展して都市化が進んだことで、人と人との関係性はどんどん希薄になっています。
本来なら感謝が生まれるはずの商品の交換がお金のやりとりだけで完結してしまう。
コンビニの店員と世間話なんてそうそうしない。
隣に住んでいる人が誰か知らない。
手にする商品を作った人が誰かもわからない。
自動化、機械化、オンライン化が進み、人の気配は次第に消えていっています。
もはや人と会話することが億劫になっている人もいるのではないでしょうか。
もしくはその風景が当たり前になっている若者もいそうです。
きっと”楽”に向かう力学がはたらくのが人間の性なのでしょう。

反対にちょっとした地方では、まだまだ人と人の関係性は濃いような印象です。
野菜の交換が行われていたり、何かの行事を家族みんなで寄り合って参加したり。
コミュニケーションが密でお互いに助け合うという精神が強うそうですが、ベタベタしていて疲れる人がいるのも確かでしょう。
コミュニティの結束が強いと排他的な要素をどうしても孕んでしまうので、後から来る人が輪に入りずらかったりします。
関係性の濃度において都会向きなのか田舎向きなのかは人それぞれ特性はあると思いますが、総じて薄まっていく傾向にあると思います。
ぼくも田舎暮らしに憧れはあるものの人の関係が濃いのは正直しんどいです。

だからといって極論を選ぶのではなくて、うしろめたさの中に秘められたエネルギーをしっかりと認識して自在に使えるようになれば、関係性が希薄になってきている社会でも人とやさしく関われると思います。

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