よく食べものを評価する際には「美味しい」か「美味しくない」を使う。
それはドラマや映画を観た後に「おもしろい」か「おもしろくない」で評価することとすごく似ている。
どちらも具体的でなくざっくりとしていて、わかりやすい便利な言葉だ。
たしかにいちいち評論していたら時間がいくらあっても足りない、想像力や洞察力もいる。
でもこの業界にいる以上「美味しい」については、ついつい深く考えてしまう。
ふだん何気に使う「美味しい」にはいろいろな要素が含まれている。
料理の味はもちろん、サービスや空間、流れているBGMや空気の質感、テーブルの高さや椅子の座り心地、器や調度品のしつらえ、聞こえてくる会話、一緒に時間を過ごす人、お店との関係性、それらはお客さんが感じる要素であり、そこにお店をつくる人の想いや物語が足されていく。
食材へのこだわり、生産者への愛情、調理の技術と経験値、その仕事を選んだ覚悟、ただ美味しい料理を食べてもらいたい人もいるし、人と人が交わる場所を提供したい人もいるし、不可抗力でやっている人もいて、様々な要素が複雑に絡み合って「美味しい」という言葉が導き出されている。
どの項目を優先するかは人それぞれだし、一般的にそんなに細かいところまで認識もしてない。
なんとなくの感覚は意外と的を得ているもの。
ただ業界にいる身としては、評価サイトのような単純に数値化されている指標には惑わされてほしくないと願う。
情報の影響力は大きい。
写真の撮り方次第で美味しそうに見せれるし、メディアに露出すればある程度の演出もできるし、興味を惹くような言葉だって工夫すれば人の認知をハックできてしまう。
今は感情のこもっていない作為的な「美味しい」が世の中に溢れている。
だからこそ自分の頭で考えて自分で感じて自分の判断から生まれた「美味しい」を言いたい。