この社会に存在している以上、何かや誰かと比べずにはいられない。
そして比べては何かしらの判断を下さないといけない。
いいとか悪いとか、優れているとかいないとか。
その基準は大勢の平均値であったり、常識であったり、暗黙の了解であったり、それらは極めて曖昧なものでもあると思う。
みんながそうだからとか、当たり前だからとか、自分がこうしてきたからとか、そのすべてが決して正解だとは限らない。
正解は常に時代の価値観によって変わっている。
自分が正しいと思うことは、あくまでも現時点の暫定解に過ぎないという認識でいることが重要だと思う。
まずは相手を尊重して意見に耳を傾ける。
次に自分の考えを伝え、互いに議論を交わす。
そのような姿勢が今のぼくにとっての暫定解。
インターネットによって個人が意見を言えるようになったのはいいことだけど、その権利を行使するためには、ある程度のリテラシーや教養が必要な気がする。
フィルターがかからず誰でも簡単に発言ができることで、SNSは議論が荒れるのだろう、悪質な言葉が右往左往するのだろう。
ひとりよがりな主観の押し付け、相手への配慮のなさ、マウティングをとっては賛同者を集め承認欲求を満たして気持ちよくなる。
ネット社会は人間の潜在的な欲求を助長することにすごく長けている。
欲張りな人類がフロンティアを探究する力はどこまでも際限がない。
世界の隅々まで情報が溢れてしまったことで比べる対象も増えてしまった。
見えなくてもよかった世界が見えるようになってしまった。
所詮、基準なんて曖昧なものだし、正解なんて変わっていくから、他と比べてどうかなんて言ってる場合ではない。
頼れるのはもう自分の信念しかない。
みんな他人のことよりも自分のことだけを考えてたらいいと思う。