美徳と美意識

美徳とは、人として望ましい立派な心のあり方や行い、と書いてある。

きっと本来の意味ではそうであって間違いがないのだけど、現代の解釈では“社会的な規範”や“その時代の価値観”というニュアンスが含まれているような気がする。

(個人的見解)

一つの道を極めること。

周りと足並みを揃えて同調すること。

一貫した主張を持ち続けること。

相手の気持ちを察すること、慮ること。

なんて、どれも時代背景が色濃く表れているし、日本的なハイコンテクスト文化の影響も多分に受けている。

これからの変化の激しい時代を生きていく上で、凝り固まった美徳を掲げてしまうのはリスクであるように思える。

価値観は常に変わっていく。

大昔は太っている女性が美人とされていたように、当時は食糧難であるがゆえたくさん食べれる人が豊かさや美しさの象徴だった。

おおよそ足りていないものが希少価値となり、それを満たすことがその時代の価値観として現れたりする。

最近では食べもの、お金、モノ、承認欲求とあらゆることが満たされている豊かさに向かっていて、次世代の美徳や価値観はどんなものになっていくのだろう。

一つの道を極めることや一貫した主張を持ち続けることは、これから美徳ではなくなっていくと思う。

ダーウィンが言っているように、変化に適応できる種だけが生き残っていく。

反対に似たような美意識という言葉は、美徳とは違って時代が変わっても揺るぎない個人の軸というニュアンスで捉えている。

(個人的見解)

各個人の性質、特性、大切にしたいこと、誰にも譲れないこと、変えようと思っても変えれないこと、心が動くこと、内側から自然発生する感性。

人生では、できないことをできるようになるために努力をする場面が往々にしてあるけれど、自分の美意識の範囲外のことだと、どれだけ努力してもできないことがある。

できない自分を責めるのではなく、ただ向いてないだけなのだ、と気づくまで随分歳をとってしまった。

できないことに時間を費やすより、先に自分の美意識が何かを理解する方がいい。

その見極めがむずかしいのだけれど。

関連記事

  1. 共有できることへのあこがれ

  2. たまにある試練

  3. それ相応の環境

  4. 見えないものを想像する

  5. おもしろいことがしたい

  6. 街の格差