知ってほしいという気持ち

どんなビジネスやサービスもコンセプトの核となる部分には、たくさんの人に知ってほしいという気持ちがあると思う。

届けたい、伝えたい、も同じようなもの。

自分の気づいている重要なこと、大切なこと、を知ってほしいと願う。

食や身体や自然のこと、差し迫って生きることに必要ではない趣味の領域もみんな何かしらのメッセージを発している。

活動や商品を通して、豊かになるだとか、楽しくなるだとか、幸せになるだとか、あの手この手の情報が行き交っている。

そして人は今まで知らなかったことを知ったとき、心が動き気持ちに変化が訪れる。

相手の感情を変化させたなら目的を果たせたと言ってもいい。

ある意味で感動の多い人生こそが人間であることの到達点な気もする。

でも実際にはそううまくいかない。

現代人はみんな忙しいし、情報をインプットできる容量にも限界があるし、お金も時間も心の余裕も限られている。

それに大企業が人間の行動心理を巧みに操って、刺激を与え、少しでも空いた隙間を奪い合っている。

自分の経験から考えても、がむしゃらに仕事をしていた時期は、自由な時間がなくひたすら目の前のことをこなすことに必死で、まるで感動していなかったように思う。

まるで高速に移動する乗り物に乗っているようだった。

散歩して気づく花の美しさがあるにもかかわらず。

その花の名前を知っていたならもっと楽しい散歩になるだろう。

自分自身も個人として社会と関わり社会に参加している以上、少なからず発信をしなければならない立場にいる。

お店のことも料理のことも、もうひとつの活動のことも知ってほしいという気持ちが源泉にある。

でも先の述べたように情報過多な時代で相手の心を掴む難易度はどんどん高くなっていってる。

いかに魅せるか、いかに知ってもらうか、宣伝やマーケティングの技術もすでに確立されてきている。

何度も繰り返し宣伝しないと、なかなかお客様のところに届かなくなってきている。

しつこいと思われないか、しつこくて嫌われないないか、と臆病になって逡巡していたら置いて行かれてしまう。

だからといって無理をして発信しまくるのも自分らしさが失われるようで違和感がある。

じゃあどうしたらいいのか。

自分を自分らしく保っていたい以上、自分のペースでやるしかないのだろう。

知ってほしいという気持ちを大切に抱えながら。

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