成長とはただ盲目に生きること

成長することは正しいのか。

使い方によっては大切なことである一方で、違和感をおぼえる時もある。

成長とは、身体的に大きくなること、人格を磨いていくこと、利益や収入を上げていくこと、地位や名誉を増やしていくこと、といろんな意味を包括している言葉のような気がする。

時間軸を伴い、上へ上へと目指していくような試み。

身体はほっといても大きくなっていくだろう。

人間である以上、人格者になれることに越したことはない。

でも利益や地位を上げていくことは、現在の資本主義というゲームルールにおいて必要な成長に過ぎない。

文明の遅れている国の人たちが“負け”では決してない。

むしろある意味で先進国の人たちよりも現状の風景に幸福を感じていることが十分にありえる。

でも残念なことに世界のゲームルールは確固として資本主義のもと動いている。

そのことに嘆いても自分がしんどいだけなので、そのルールの中でうまくやり過ごし、よりよく生きることが最善であるように思う。

進化という言葉は大袈裟だけど、生命は意志を持たずただ盲目に生きようとしている結果に過ぎない。

偶然の積み重ねが自然淘汰として認識されている。

筋肉が負荷をかけてこそ強くなっていく仕組みも、断食で細胞が入れ替わる仕組みも、傷口が次第に治っていく仕組みも、小さな生命がただただ生きようとしているからだ。

自然に振る舞っていても生命は、人間は、否応なく成長しているとも言えるのではないだろうか。

成長という言葉をどのようなニュアンスで捉えるのか。

解像度を上げて考えると見えてきたのは、良くも悪くもいろんな意味いろんなケースで使われていることがわかった。

ほっといても成長するのだから何も考えないくらいの方がいいのかもしれない。

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